文と絵/旅行作家 富田弘平
 「道がつづら折になって、いよいよ天城峠(あまぎとうげ)に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すざましい早さで麓(ふもと)から私を追って来た。私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白(こんがすり)の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけていた。」
 川端康成「伊豆の踊り子」の冒頭、書き出しである。大正七年(1918年)秋、現在の旧天城トンネルの北口の辺りから物語が始まる。
 この物語は、6本の映画、1本のテレビドラマに仕上げられていて、小説の最後のくだりは次のように描かれている。
 「踊り子はやはり唇をきっと閉じたまま一方を見つめていた。私が縄梯子に捉まろうと振り返った時、さよならを言おうとしたが、それも止して、もう一ぺんただうなずいて見せた。はしけが帰って行った。栄吉はさっき私がやったばかりの鳥打帽をしきりに振っていた。ずっと遠ざかってから踊子が白いものを振り始めた。」
 この別離の情景はきらきらするような青春の一瞬を描いて比類ない。  私はこれまで日本全国の、特に旧街道の峠と名の付く道をかなり歩き越えているが、天城峠は数少ない「峠」らしい峠と思う。ということで昭和53年、58年の両年、同好の人達を誘って、いずれも冬期の天城峠を越えて「伊豆の踊り子」を偲ぶ旅をしている。平成11年2月は、伊豆国七福神巡りをしながら旧天城トンネル付近を徘徊している。

湯ヶ島から天城峠へ

 天城峠は伊豆半島の南北をさえぎる峠で、古くから多くの旅人が行き来しているが、昔の天城峠は、現在の天城峠の稜線の西方向にあり二本杉峠と呼ばれている。それが旧天城トンネルの開通によって利用されることが少なくなり、現在は414号国道の新天城トンネルの上部の稜線上の鞍部(あんぶ)が天城峠と呼ばれている。
 湯ヶ島温泉は、作家、井上靖の実家があってところで、彼が幼時通学した小学校校庭には詩碑が建てられている。また新天城トンネル北入り口の手前、大川端キャンプ場への入り口近くにもこの作家の作品「猟銃」の中の一節を刻んだ文学碑がある。
  旧天城トンネルへの道はそこから国道を南へ進んだ水生地入り口への道路に続いている。入り口近くに川端康成のブロンズ像と「伊豆の踊り子」冒頭の一節を刻んだ詩碑が建てられてある。
 トンネルの入り口はツララが下がっていて覗くと暗い中に南側入り口が小さく光って見えている。車が一台通れるかどうかのトンネルの中に、私は、その暗いしじまの中に踊子の幻影を見、踊子が打つ太鼓の音を聴いたのである。また井上靖の「おまち姉ちゃん」の面影や、松本清張の「天城越え」に登場する少年の、慕情をかきたてた酌婦の面影をも見たのである。
  旧天城トンネル北入り口に向かって右手に天城峠と二本杉峠への伊豆山稜線歩道への取り付き口があって、15分ほどで湯ヶ島町と河津町の境界でもある稜線に出る。そこが天城峠で、熊笹と雑木が生い繁った鞍部であった。北方向だけが開けていて五合目以上に雪を纏った富士山が高々と見えていた。

天城峠から湯ヶ野・下田へ

 天城峠の標高は830メートル、二本杉峠は880メートルで、この間をほとんど水平な歩道が続いていて、1時間15分で杉の巨木が立ち、その根方に休憩舎の建つ二本杉峠に着く。この峠は幕末のころ、タウンゼントハリスが越え、唐丸篭(とうまるかご)に乗せられた吉田松陰などが越えた歴史を見ている。
  峠から南に下る叢の中に古い石仏が何体が置かれている。南方向へ約1時間30分、杉、桧の植林と山葵の廃田の多い道を下ると宗太郎園地で、ここから踊子歩道で河津七滝を経て湯ヶ野温泉に下りられる。七滝のひとつ初景滝の落ち口近くに、踊子と学生が寄り添ったブロンズ像が建てられれあった。七滝の最下流の大滝には天城荘があって、滝の落ち口近くに穴湯があって天城の秘湯のひとつにされている。
 七滝から約1時間の歩きで湯ヶ野温泉の福田屋に着く。「伊豆の踊り子」の作者が泊まった宿で、玄関脇に踊子のブロンズ像が置かれている。宿の隣地は小公園で伊豆の踊子文学碑が立てられてある。鋳鉄の板に川端康成筆の「伊豆の踊り子より」として小説の一節が浮き彫りされてある。  福田屋の河津川に面した部屋から対岸の共同湯が見下ろせるが、裸身の踊子が作者に手を振る情景が小説に書かれている。この共同湯の近くに、湯ヶ野荘があって、現在も年に一度は利用しているが、共同湯は現在、町民以外には利用させていない。
 この旅(昭和58年1月)の終わりも下田港へ出たが、合計7本の映画とテレビドラマの終幕では、つい涙を誘われるときがある。7本の映像でどれが好みかといわれると、美空ひばり・石浜朗・片山明彦出演、野村芳太郎監督の作品が、私の友人達には好評のようである。
富田弘平(とみた・こうへい)旅行作家の会会員、大正12年生まれ。広島通産局局長などを歴任、昭和48年退官後、全国にある一等三角点などを巡る。


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